『鳳鳴館』 これはしばしば間違って使われる鳳明館の名称。ただし必ずしも間違いではないのが『鳳明館』らしさ。下宿としての創業時は『鳳鳴館』、本館の看板文字は『鳳朙館』、現在の屋号は『鳳明館』。この3種類の名称に関してほとんど資料や記録がなく、その命名は謎のまま。実は鳳明館の鳳凰装飾も3館3様、ロゴも4種類と様々。歴史的背景などを参考に、この謎解きをしてみました。
<鳳って何?>
鳳明館の“鳳”は鳳凰から。鳳凰は中国の伝説に現れる霊獣で鳳は雄、凰は雌のつがい。聖徳の天子(王)が表れるときのみ出現する瑞鳥で、中国では最も縁起のよい霊鳥と言われてます。明治31年に下宿の商売を始めるのに屋号として、格段に縁起が良い吉祥文字として”鳳”を選んだのでしょう。
鳳明館が関東大震災、東京大空襲を免れ、コロナ禍の危機を乗り越えることができたのは、鳳凰が守護神的に守ってくれたせいかもしれません。
<『鳳鳴館』 の "鳴”>
下宿時代の屋号は『鳳鳴館』。少なくとも大正2年までは『鳳鳴館』でした(「本郷旅館街時積圖」参照)。
この"鳴”はどこから? 中国最古の詩篇「詩経」 ”鳳凰鳴く ・・・. ・朝陽に" とあります。当時、明治天皇は日清戦争の勝利を導き国民から明治大帝として敬慕されていたそうです。日本において鳳凰は天皇のみが使用されていたこともある特別な文様。平安時代ごろは天皇の調度品や装束のみに使用され、明治天皇が行幸された際の乗り物は鳳凰の飾りつきの鳳輦(神輿)。『鳳鳴館』の命名には、吉祥という後利益に加え、明治天皇に対する深い尊敬の気持ちも込められていたのかもしれません。
ちなみに、大正2年の下宿・旅館リストを見ると、他の下宿や旅館の屋号も ”朝陽館” “日進館” ”大晃館”等と威勢の良い名前が数多く並んでいます。本郷下宿街が東京最大の下宿街となったころは、国力増強を背景として、社会的上昇志向や立身出世主義の浸透していた時代。こうした下宿や旅館の屋号は上京してきた学生や成人の青雲の志も反映しているようです。
<『鳳明館』 “明”へ>
旅館の創業者が昭和11年に購入した際の帳簿『日家栄帖』には”鳳明館”を売買と記載。
この頃まで『鳳明館』に変更されていたことになります。
「明」に変更した理由として言い伝えられているのは、”商人は泣いちゃいけないから”という説。"泣く”と “鳴く”は全く意味が違うので、ちょっと疑わしい感じです。
大正デモクラシーの盛り上がり、病弱であった大正天皇などを背景に、天皇とリンクする「鳴」を「明」に変えることで、新しい時代の夜明けにふさわしい屋号に変更したのかもしれません。
または、関東大震災(大正12年、1923年)が改名のきっかけとも考えられます。坂上の高台に立地していた鳳鳴館は無事だったものの、坂下の家屋はほぼ焼失。大震災後、街の復興、明るい未来を願い、”明”に変更した可能性も否めません。
<『鳳朙館』の ”朙” >
本館の看板文字は『鳳朙館』。”朙”の字が使われているのはこの看板だけ。
囧は窓の形であり、月が窓から入って明るい様子を表す文字。いつからこの看板があるか不明で理由もわからないまま。最近 鳳明館の撮影依頼があった際にひらめいたのが、”本館・台町別館 外観”窓”類似説”であり、看板を作ったのは台町別館竣工時の昭和20年代後半。
根拠は本館と台町別館共通する外観の特徴が ”窓”であること。両館がお互いに道路をはさんで東西で向き合っている側は、建物の端から端まで窓が連続(壁はほぼ無し)。
台町別館の庭は本館側にあり、庭の全景をお客様に堪能して頂けるように、2階部分も1階の縁側のように廊下を配置、一面窓になってます。
この2館の連続窓により、あたかも呼応しているかのような空間の連続性が生み出され、借景効果による風情も抜群。台町別館の庭に対面している本館の玄関看板を作成するにあたり、普請道楽でもあった旅館の創業者が ”窓”を強調した文字を看板に選んだというのは十分あり得ます。実際、本館に対面していない台町別館の看板には「朙」の文字は入ってません。
詩情豊かな看板は、文人が愛した文の京の雰囲気も伝えているかのようです。
上:本館 下:台町別館
<”鳳”の 創作?書体>
”鳳”の書体が独特なのも鳳明館の特徴。風冠の左側は”払い“であるはずが”はね”ている創作?文字。
このはねっぷりにより、鳳凰が大き羽(はね)を広げ飛翔する姿を具象化したのに違いありません。何といっても、この書体のデザイン性やダイナミックさを実感できるのが外看板。鳳明館ご見学のちょっとかわった楽しみ方として、大看板を見上げ、大空を背景に翼を広げて現れる鳳凰を想像してみてはいかがでしょうか?
<3館3様の鳳凰 玄関建具装飾>
建具で鳳凰の装飾が置かれているのは、旅館の顔である内玄関のお帳場だけ。
やはり他の装飾とは異なる別格な存在。
この鳳凰の姿もよく見ると3館3様で、職人さんの個性が表れています。鳳凰が宿る桐の葉っぱが入っているのは森川別館のみ。3館の最後に唯一当初から旅館として建築された建物なので、他2館とは一目でも違いがわかる鳳凰にしたいという職人さんの心意気が伝わってくるようです。
<4種類の鳳凰ロゴ>
鳳凰のロゴも統一性なく格調高いロゴからユーモラスなロゴまでバラエティに富むロゴが共存しています。
お帳場の透かし彫り鳳凰のように気品のあるロゴがほどこされているが便箋。便箋はお客様への手紙ゆえ、礼儀正しさを意識した気品ある鳳凰デザインを発注したのでしょう。
丸いロゴは封筒と修学旅行用パンプレット。丸形は鳳明館の文字を横並びにするための省スペース目的? 最近 天袋から発見した皇居参拝記念品の風呂敷に染められてる文様がこの丸ロゴに似ており、この文様を見本にして鳳明館丸ロゴをデザインかもしれません。
ロゴで唯一アルファベットが入っているのが、小さい封筒。鳳凰の羽がくっついて鳥の巣のよう。その中に入っているのが鳳明館の頭文字の”H"。戦後、株式会社の旅館として、きちっとした経営を構築したのは昭和生まれの2代目。明治生まれの創業者とうってかわって、ダンディーな2代目の容姿とローマ字使用が妙にマッチしている気がします。”H"は”Home の ”H”でもあり、鳥の巣状の図形に入れることで、団体旅館としての敷居の低さ、アットHomeさが伝わってくる秀逸なデザインだと思います。
一番 カジュアルなのは、荷札のロゴ。これは鳳明館のロゴのなかで唯一つがいでない鳳。荷札は一人一人のお客様向けだから、単体にしたというのは考えすぎでしょうか? フリーハンドで描いたようなユーモラスなイラストにしたのは用途が荷札と実用的なので、堅苦しさ不要だからでしょう。修学旅行の生徒さん達が、修学旅行記念としても喜んでくれるようにフレンドリーさを狙ったのかもしれません。見れば見るほど茶目っ気のある鳳ちゃん、鳳明館のゆるキャラとしても使えそうです。
鳳明館の3種類の屋号文字と鳳凰建具装飾、四種類のロゴ。これらの謎解きにトライしたことで、鳳明館の諸々の面白さや魅力に出会いました。願わくば謎を解明すべくタイムトラベルして、先人達にじっくりインタビューをしたいです。
Comentários